ハワイに行ったら、今はハワイ島がいい。 昔はオアフでハナウマベイか、アラモアナショッピングセンターと デューティーフリーの往復だったかもしれない。 レンタカーでアウトレットモール巡りもよく行ったし、 ノースショアーのタートルベイも家族でゆったり過ごせる場所だった。 でもハワイ島がいいのかもしれない。 マウナケア山の標高は4205m。 富士山より高く 日本のすばる望遠鏡やNASAの赤外線望遠鏡がある場所。 そこは日本では見ることができない4000mを越えた雲海の上から見る別世界。 宇宙の広がりを感じる場所。 「星が降ってくる体験」。 それが出来るのは日本では富士山頂くらいかもしれない。 しかしその富士山より更に 429mも高い場所から空を見る。  それがハワイ島 マウナケア。 母が「ハワイに行っておいて良かったよ。」と娘に告げていました。 亡くなる1か月ほど前の事です。  娘は3年経って、そのハワイに行く機会を得ました。 古くからの友達と久しぶりの電話が盛り上がって旅行 に行くことになったのです。その友達が選んだのがハワイ。 思い返せば取れないはずの席が取れたりした 運のいい旅でした。 その旅の途中で「マウナケアがいいから登ってご覧」という話を聞き、たまたま登った のが、思いの外素晴らしかったようです。 人間は亡くなるとどこに行くのでしょう?   身体は土に帰り、魂はどこに帰るのでしょう? また、この地球に降りてくるのだろうか?  この綺麗な星のどこかに、亡くなった人たちの魂が息づいているのだろうか?   こんな綺麗な夜空が見える場所があるなら、そして、亡くなった人の心に触れるような場所があるなら 私も行ってみたい。 そんなマウナケアの星の話を今日、妻から聞きました。   結婚してもう29年が過ぎていました。

自分の子供なら断じて許すまじ。 こんな人間を育ててしまったことに恥ずかしさと憤りを感じてしまう。 「親の顔を見てみたい」とは、こういう時のものだろう。 しかし、大方、似たりよったりなのかもしれない。 「この親にしてこの子あり」とは、こういう時のものなのだろう。  北野高校と言えば東大、京大に多くを輩出する進学校。 そこから関西大学の法学部へ。  そして川西市役所勤務。 今どき公務員には、なかなかなれるものではない。 なんと順調な人生だこと。  小学校や中学校の職員経験もあり。 今は兵庫県議会議員さん。 素晴らしい経歴じゃないかい。 とすると今日の映像は別人なのかな。 わざと支離滅裂な発言にしてるのかな。  この議員のブログは昨日までは普通に見えても、 今日は、白々しく嘘の人生のように見えてしまう。   昨今の議員さんとはこんなものなのでしょうか? 上から目線の下等なヤジを飛ばす議員がいたかと思うと、不明瞭は政務活動費の釈明で支離滅裂な 激情会見をする議員もいたんだ。  あとどんな議員が出てこられるのでしょう。  池井戸潤さんや東野圭吾さんにあらたな題材を与えなくてもいいのに。 わざわざ、部数が伸び悩んでいるスポーツ新聞や週刊誌の売れ行きを気にして差し上げなくてもいいのに。 でも、ある意味、この世の中は一寸の先が予想できないから面白いのかも。 次週はどんなドラマなんだろう。   今日の芸は、近いうちにダチョウ倶楽部のネタになるような気がしてしようがない。

この先、君には様々な試練があるだろう。 辛くて、苦しくて、逃げたくなる時が来るかもしれない。 でも思い出して欲しい。 君には、一緒に汗を流した素晴らしい時間があったことを。 失敗を怖れず、チャレンジすればいい。 精一杯努力して、その挙句の失敗なら、どってことない。  たかが人生、何が起こってもいいじゃないか。  でもね、世間を甘く見ちゃいけない。 地に足をつけて一歩づつ自分の足で歩くんだ。  明日への扉は自動ドアなんかじゃない。 明日を信じて自分の手で開けるんだ。 さあ、君の番だよ。   なんだよ、一歩が出せないって。 そうか、しようがない。 ならこんな話を君に聞かせてあげよう。  今となっては、もう昔のこと。   当時の恋人だった女性に沸騰したコーンの鍋を熱湯ごと入浴中に浴びせられ、そのあと彼女が男の銃を使って 自殺するという惨事に遭遇する。 その事件のあと、彼は牧師になり、教会を持ち「信仰についての歌」を歌い始めた。  2台のピアノのイントロから始まると、一瞬にして霧が晴れ、視界がひらける。 すべての罪が舞い上げられる。  64歳になった彼は現在でも牧師であり、生来の信条を変えることなく、信ずべきを信じ、歩むべきを歩んだ人生を 歩んでいる。 明日を信じて。            さあ、そろそろ君の番だ。 貧困は辛い。 不況も辛い。 眠れないのも辛いもんさ。 しかし不足を言っても仕方がない。 不遇を嘆いてもどうなるものでもない。 それなら今の境遇を楽しむ方がいいじゃないか。 こうでないといけないなんて ありゃしない。 こうあるべきだなんてくそくらえだ。 不況もまた結構。 苦境も知恵を絞り出してくれる。 高みにばかり目が行くのではなく自分の足元をしっかりみながら努力をしていける人。 大地にしっかり根を張った 人であって欲しい。 君には才能がある。才能とは努力する力を持っていることさ。 さあ一歩前へ出ようじゃないか。 "BELLE"   AL GREEN Belle, the Lord and I've been friends for a mighty long time. Belle, leaving Him has never ever really crossed my mind. Let me say this one thing, I'd never go so far , 'Cause it's Him no matter

「朝っぱらから 仕事に出かけ 悪魔のように金儲け。」   「男と争い 子どもを育て 私は死ぬまで汗まみれ。」 「なのに一日中 ごろんごろんと お空じゃ お天道さん。」    「上の方からじゃ 見えないのかな 私の涙なんて。」 たまにR&Bを聞きたくなる時がある。 もうずいぶん前からオーティス・レディングやアル・グリーン、レイ・チャールズ など聞いてきたし、もちろんビートルズよりもローリング・ストーンズやツェッぺリンを聴いた時期もある。 日本では 憂歌団くらいだった。 でも、この歌だけはアメリカのアレッサ・フランクリンやルイ・アームストロングなんかよりも 大西ゆかりがいい。 大阪の通天閣が良く似合う彼女の声がいい。 予備校に通っていたころから聞き出したR&B。  気持ちが落ち込んだ時に傷を嘗めるように聴いていた。  久しぶりに聞きたくなった。  どってことはない。 ただ聞きたくなっただけさ。 "That lucky old sun "  大西ゆかり の声を。 明るいところばかりにいるとたまに暗さが欲しくなる。  10代、20代の頃のように。 単身赴任をしていたのは梅田。東通商店街を抜けて天神橋筋商店街。 懐かしいワンルームがある。 せっかく大阪に居たのに通天閣には行ったことがないなんて。 そのうち・そのうちで、もう10年。 大阪はR&Bがよく似合う。 プカプカみたいに泥臭く活きる人の街。 そんな味のある街が嫌いじゃない。

「ドイツW杯初戦のオーストラリア戦は試合終了まで残り8分となり、1-0で勝っていた。しかし、1点を取られたら 立て続けに3失点してしまった。失点すると精神的に浮き足立ってしまう。これが日本の欠点だ.。 きっと国民性 なのだと思う」-2006年のジーコのコメント。本当にそうだろうか?ザックジャパンはそれで負けたのだろうか?     地球は自転していて、その上に暮らす私たちは地球の重力によって回転運動をさせられている。つまり外力がある。   北半球では物が北(赤道から北極)へ向かうと東へ、東へ向かうと南へ、南(北極から赤道)に向かうと西へ、   西に向かうと北極方向へずれる。 つまり右へ右へと力を受けることになる。 南半球の力は物体を進行方向に 対して左にそらす力となり北半球と逆向きになる。 この力は物体の速度が大きく運動している時間が長いほど   大きな影響を受けるので日常の生活ではその力の存在は分かりにくい。 風呂桶に溜めた水や車を走らせた程度の   影響は非常に小さく、実質感じ取ることはできないでしょう。 しかし北半球で暮らしていると、太陽は西へ進んでいく。 逆に南半球の南極上空から地球を見ると右向きに回転している。  北半球の竜巻でも右巻きのものが観測されることはある。 せいぜい数キロメートル程度の気象現象なのだから   この力の原理に逆らうことはあるのでしょう。 南半球で三日月を見る時は、北に向かって立っている事が多く   右が東、左が西になる。 日時計の数字は反時計回りの左回りで8~12、1~4と並んでいる。   そんな南半球の力がどれほどブラジルのワールドカップに影響したかはわからない。 しかし6チーム中5チーム   が残った南米チームには確かに地の利があったのだろうし、優勝候補のスペイン、ポルトガル、イングランド、イタリア   があっさり負けてしまった結果を観ると、このコリオリの力が微妙な変化をもたらしたのではないかと思えてならない。     微妙な力で左右されるワールドカップの勝敗は運がある、ない、と簡単にかたずけるのではなく、はたまた精神的要素   が大きいと言い切るのでもなく、究極のアナログ的要素を膨大なデジタルデータを基に物理的に着地点を予測して   もらいたい。 スーパーコンピューター「京」が、ビッグデータ解析に関係するスパコンランキング「グラフ500」で   世界1位になったと6月24日に理化学研究所が発表したのだから、それをサッカーの勝敗予測に使ったとしたら   サッカーくじが破たんしてもおかしくはない。

自分のいるところ、それを明らかに知ることが次に踏み出す大事な事かもしれない。 自分をここに運んで きたものは、自分自身が意識して、そうしたものではなく、他人が無理にそうしたものでもない。  大きな自然の中で戯れるモンシロチョウのように、まるで時の流れに漂わされてきた一人の漂流者。  しかし、自分が今いる場所には偶然か、はたまた天意がそうさせたのか、夏の太陽に大輪の花を開花させ ようとする陽の気が充満していたとしたら、この居場所に潜むそうした生命力を目にしたり、匂いを嗅いだり、 そして体の中の血が騒ぐこともあるだろう。 自分の五感がうずいて居てもたってもいられなくなるだろう。 もし、その気や流れを、感じ取ることが出来たとすれば、あとは天に任せて生きていけばいい。  いつの時代でも必ず人の中に人が居る。 有能な人は人の中に埋もれている。 しかし悲しいかな、それを 見出す人が少なくそれを持ちうる組織が弱体化し有能もみな無能に帰してしまうこともある。  10年語り合っても理解しえない人と人。 そして一時の宴の間に100年の友となる人と人もある。  生きていると、いろんなことに出くわして、様々な事象に巻き込まれてしまう。 デンマークにいたドイツ人がビール瓶に葉書を入れて海に流したのが1913年5月17日のこと。  「この瓶の発見者はこの葉書を同封の切手を使用して差出人のベルリンの自宅に送ることを望んでいる」と。  1913年の翌年、1914年8月に第一次世界大戦が勃発し1920年までドイツは戦争。 このビール瓶は その後、第二次世界大戦も生き延びて、ドイツのキール近郊の海の底を漂っていたところ、漁師の網に かかって長い旅を終えることになる。そして親族で唯一生き残っていた孫娘は60歳を超えていた。  その孫娘は101年前のビール瓶を、涙を流して受け取ったらしい。    それぞれの行為が今は意味のない事でも、やがて、その意味を成すことがある。  どんな些細なことでも、それが意味を成す日がきっと来る。  ある人に巡り合う為に彷徨い、またある人はその人に出会う為にじっと陽の目を待っている。 そんな縁を見逃さず生きて行きたい。 もしかしたら明日にもそんな縁に出会うかもしれないのだから。 

二年ほど世の中に飢饉が続いたとしたら日本はどうなるのだろう? 春夏の日照り・干ばつ、秋冬の大嵐・洪水など 悪天候が続いて五穀がことごとく実らなかったとしたらどうなるのだろう? ある者は地元を捨て、地域を離れて、また ある者は自分の家を忘れ、山の中に住むことだろう。 そしてさまざまな祈祷もはじめられても、その兆候も出ないのだ。 京都では田舎の産物をたのみにしているのに、それもすっかり絶えてしまうことになる。やがて京都に行く者もなくなり 食料が欠乏してきると取り澄まして生活することはできなくなってしまう。 耐え切れなくなって、さまざまな財産を片っ端 から捨てるように売ろうとするが、てんで興味を示す人もいない。 稀に売れたとしても金の価値は軽く、粟は重く評価 される。 次第に物乞いが道ばたに多く出没し、憂い悲しむ声は耳にあふれてくる。 前の年はこのようにしてようやく のことで暮れていく。 翌年こそは立ち直るはずと期待したのだが、運悪く疫病が発生し蔓延してくると、事態は一層 酷くなる一方で混乱を極めことになる。 世間の人々が日毎に飢えて困窮し、死んでいく有様は、さながら池の水の ひからびていく中の魚のようである。 終いにはそこそこの、いで立ちをしている者も、ひたすらに家ごとに物乞いをして 歩くようになる。 衰弱しきってしまった者は、歩いているかと思うまに路傍に倒れ伏しているという有様。 屋敷の土塀の 脇や、道ばたに飢えて死んだ者は数えきれない。 遺体を埋葬処理することもできないまま、鼻をつく臭気はあたりに 満ち、腐敗してその姿を変えていく様子は見るに耐えない。 鴨の河原などには、打ち捨てられた遺体で車が行き交う 道もないほどになる。 やがて山の民も力がつきて、薪にさえも乏しくなってしまったので、頼る人もいない者は自分の 家を打ち壊して市場に出して売るようになるが、一人が持ち出して売った対価は、それでも一日の命を保つのにも足りない ほどである。 悲しいことには、こういった薪のなかには、丹塗りの赤色や、金や銀の箔が所々に付いているのが見られる 木っ端が交じっていることだ。 これを問い糺すと、困窮した者が古寺に忍び込んで仏像を盗みだし、お堂の中のものを 壊しているという。 濁り切った世界に生まれあわせ、こんな憂き目をみるはめになったことは悲しいことだとも思うだろう。 また、愛する相手をもつ男女が、その想う心が深い方が必ず先に死ぬようになる。 それは自分のことを後にして、男であれ 女であれ、ごくまれに手に入れた食べ物を、思う相手に譲ってしまうからである。 従って親と子供では決まって、親が先に 死ぬ。 また母親が死んでしまっているのに、それとも分からない子供が母親の乳房に吸いつくこともある。 仁和寺の偉い 僧侶が、このように人々が死んで行く様を悲しんで、若い僧侶たちを大勢使って、死体を見る度に、その額に成仏できるよう にと「阿」の字を書いて仏縁を結ばせることを行ったりもする。 死者の数を知るために二カ月間、その数を数えてみると京都 の南北は一条から九条。東西は京極から朱雀大路の間だけでも路傍にあった死体の数は計4万2300人ほどとなる。  ましてやその前後に死んだ者も多く、鴨川の河原や、白川、西の京、その他の周辺地域を加えて言うと際限がない。 これは実話である。 今から833年も以前のこと。 京の都で起こった本当の話です。 飢えて骨と皮だけになった人が 二か月で4万人を超えていたという、今から想像も出来ない飢饉の有様が克明に記されていました。  これは単に随筆の中のことと思って居ましたが、今の世の中でも餓死はある。 身勝手な親が大切な子供の命を 弄んだ犯行である。 この卑劣な男にどれ程の因果応報が待ち受けるというのだろうか?   「このままでは死なせてしまう」と思ったが、病院に連れて行けば育児放棄が発覚する。 そのために子を放置する ことにしたという。 自分で立ち上がれず食事として置いてあったパンの袋も開けられず、か細い声で「パパ」と呼び 続けていた。 容疑者は家に居るのが怖くなり帰宅して1時間もしないうちに再び家を出た。一週間後に家に戻ると 子供は冷たくなっていた。 2014年6月10日の社会面にひっそりとその記事は書かれていた。 その子の名前は 斎藤理玖君。 2006年に亡くなった当時わずか5歳の幼児。 多くの人が亡くなった1181年の京都とは訳が違う。 多くの人が飽食の中に暮らす平成の世の中に、このような卑劣な親が居たことに深い憤りを感じずにはいられない。

日本はつくづく住みよい、いい国だと外国の人はいいます。 タクシー乗務員やコンビニ店員   の応対一つとっても相手への思いやりがうかがえるというのです。 こんな国は多くはないとも。    まるでディズニーランドのスタッフの応対のように教育が行き届いているように思うようです。    特にアジアの人には、そのような 国に映るらしい。     「次に会うのは死んでからだよ」とラインを送ったのは今年の1月8日に自殺した”かげっち”   という長崎の中学3年生。 先週5月28日に教育委員会の記者会見が行われ「悪口など   一つ一つの事案はいじめと認められるが、自殺の原因とは断定できない」という発言が   公になりました。 元々、期待することは難しい。 それが日本の教育現場。 先生方は   問題が公になって大きな問題になればなるほど保身を貫き、事の本質から目を叛けた   ような発言、応対になる。 そういう事がまた長崎で公になりました。    昨年5月17日、教育委員会は当時担任だった男性教諭に対して「教員としての職務上の   義務を怠り、教育公務員としての信用を著しく失墜させた」として減給1/10 1ヶ月間の処分   を下した。その教諭はすでに昨年3月より職場復帰しているが、いまだに遺族には説明や   謝罪を行っていないという。     これが平成23年10月11日に大津市皇子山中学校の当時2年生の男子生徒がいじめを   苦に自殺をするに至った事件の処罰です。将来有る子供の命がなくなったというのに   その担任と校長は監督責任があるということで減給10%。それも1か月の間だけ。   そしてその担任は1年半が経って職場復帰したという。この両親に謝罪にも行かずに   職場復帰とは如何なものか。 今回の長崎の件は、学校行事でもリーダー的な存在だった   目立つ男子生徒がその的になっていました。そしてまた、みんな見ぬふり。自分が嫌われ   たくないし、いじめの対象になりたくないから、その人を見殺しにする。そんな心の弱さが   一人の命をこの世から追いやってしまったということです。   学校の先生方は何を診ていたのだろう。 これが日本人なんだろうか?    日本は素晴らしいのだろうか?      私はこの空手クラブで子供達には厳しく指導しています。これは以前も今もまったく   変わらない事。 帯が上になれば上の帯の子供には、より厳しく接する。上の帯の   子供は強くなければならないから当たり前です。 強いとは腕力が強いということでは   なくて心が強いという事。   この空手クラブではこの心を強くすることを第一義に置いて指導しています。ですから   心を込めて稽古をしなかったり、黒目真ん中で先生の話を聞いていなかったりしたらば   子供達を練習場所からつまみ出します。「目を覚ましなさい。」とこちらも真剣です。   手抜きをすることは出来ません。スパーリングが怖くて逃げだす子供にも、その背中を   押して怖さと痛さに向かわせます。 子供たちは、その時は泣きべそをかいても、それを   乗り越えれば、お兄ちゃん、お姉ちゃんになっていくのです。 心を鍛えるとはそういうもの   だと捉えています。上の帯の子供達にはより厳しく指導します。そして下の帯の子供には   優しくしなさい、と常々言って聞かせています。お天道さんに恥じない生き方をして欲しい。   人を助ける人間になって欲しい。 いつもそんな気持ちで子どもたちを診ています。   ですから単に空手の型を学ばせたいとか、武道をかじらせたいとかいうお話ならば、   他にも空手を学べる道場はやまほどあるとお伝えします。 私は心を込めて稽古をする   子供を育てます。ですから日頃から手抜きはさせません。そして下の帯の子供に優しく   接することができない子供も容赦しません。そんな道場であり続けようと思います。   外国の方に胸を張れるような人を育てたい。心があるという人を育てたい。そういうことを   大事にする道場でありたい。そういうことが結果として、いじめをしない人を育て、いじめの   環境に立ち向かって行く人を育むのではないかと思っています。

都立高校入試で採点ミスがあり2年間で18人が不合格になっていたという記事がありました。 よく読むと 今春の筆記試験で216校のうち146校でミスが発覚。 何と67.6%の高校で採点ミスがあって件数でみると 合計1139件も。 4月の時点では48校で139件のミスがあったと言っていただけだったのに。  このことで昨年度のものをもう一度調べることになったら、やはり、108校で1072件も。  何々?   毎年1000件を超える採点ミスがあったの? それってどういうこと? これでは公平でないという訳でしょうか、追加合格という救済措置で決着をつけたようです。  今年の試験を受けた人はそれでいい。 しかし、去年、ギリギリで不合格となった受験生はどうなるのでしょう?  たぶん件数からして同じぐらいの人が不合格になっていて、その生徒達は第二志望の私立に行くか、高校進学 をあきらめて就職という道を選択したのかもしれません。 そのことをどうするのかは何も書かれていません。 これら一連の記事を見て感じたのは、「試験とは昔からそういうものだ」というもの。 何かあっさりしているように 思われる方もいるかもしれません。 何で白が黒と言われたのか、その為に人生が狂ってしまった人がいるはず。 そして、その人の人生を変えたことに責任はないのか? と思う人も多いことでしょう。 しかし私はそうは思わない。 「何でアイツがあんな難しいところに受かったの?」  「何でアイツが落ちたんだろう?」 こういう類の話はよくあります。何十年も前から。 そして中学、高校、大学のそれぞれの入試でもあったはず。 もしくは、たまたま前日に読み返した文章がそのまま試験に出たり、模試でやったものが出たり結果を、単なる 運不運で解決してしまったこともあったはずです。  就職試験では試験の成績よりも実は面接が肝心。 しかもそれは入社を希望の人からすると意外と不公平なもの。 頭の良し悪しや出身大学もあるかもしれないけれども、最終的には面接した人達の直観やインスピレーションに 頼るところがあり、「あの学生がいい」 という面接官の個人的感覚に左右されるのです。  極論なことを言えば「好きか嫌いか」で決まっているということです。 世の中、そういう好き嫌いで回っている ケースが意外と多いと思います。 高校入試で本来不合格になっていたはずの18名が採点ミスがあったことで、順位が上がり、かろうじて合格 した人を運がいいというのか、悪いというのかは誰にもわかりません。 その人の人生は、その後にどんな 生き方をするかで人生は180度も変わってしまうから。 採点ミスがあって良かったと言えるのは果たして 18名のうち何人なのでしょう。 この人たちの7年後を観てみたいものです。 そしてその7年後も。  それを5回ほど繰り返してみると彼らも50歳になる。 その18名の人生においてその採点ミスが果たして どれほど影響したかは、その頃になって顧みたいものです。 そして大抵の場合、その採点ミスなどとるに 足らないものであったと気づくのではないかと私は捉えてます。 漢字の試験の「とめ」、「はね」の違いで 2点、3点の差が生じて、それがその人の人生を変えるものでは決してないと思っています。  いい高校、いい大学を出た人が、必ずいい人生を歩むという道理もありません。  運命の歯車は、そのずっと前から回り出しているし、大事なのは、それがよくないものであっても、それを 食い止めて、いいものだけを出して行くことが出来れば、それはそれで素晴らしいし、それが大事。 人の人生を如何様にするかは、その人の心根で決まるもの。 谷底に落ちても歯を食いしばって活きている人 にとって、その人生はマイナスでも何でもないのですから。  逆に株で儲けた人やネオヒルズ族の与沢氏のように月収1億円という大金持ちになって、成り上がっては みたものの、そのお金で悲しい末路を辿る人の何と多い事でしょう。 心が荒んでしまうこと、それがよろしく ないのだと与沢さんを診ていて、思うのです。 日産のゴーンさんの役員報酬が10億円を超えたという。  これは凄い事で誰にでも出来る事ではありません。 しかし、だからと言って、その人生が素晴らしいと 絶賛することは私には出来ません。  そのゴーン氏の最終章。 いったい何が書かれているのかは、まだ誰も知らないし、採点ミスで不合格 の烙印が押されているのかもしれないのだから。

宅急便を持ち込んで宛先を書いていたら、通りで急ブレーキと罵声が飛び込んで来た。 ぶつかった訳では なさそうなので、そのままお金を支払って宅急便屋さんを出てきたら、また怒号と罵声が。 聞けば罵声を浴びせ ている男性の車の前に急に割り込んできた車があったらしい。 見ると相手は30-40歳の女性。 罵声の本人は 40前後で175cm 90kgくらいの小太りで声の大きな男性。 車を停めさせて運転席に怒鳴り散らしていた。 女性はもう無抵抗で許して下さいと怯えている。 この男性、相当、腹立たしかったのか一向に怒りが静まらない様子。  夕方19時前の出来事。 服装からどこかの現場で仕事を終えて家に帰る途中らしい。 女性は何度も謝り男性は 「謝るくらいなら警察はいらない」と感情的に怒鳴り返す。 流石に手を上げるところまではいかないにしても それは恫喝に近いもの。 女性も左右を確認せずハンドルを切ってしまったことは事故の元。 しかし、恫喝に 近い汚い言葉は聞くに堪えない。 しかも相手は同年代の女性。 そこまで言う相手ではないのは一目瞭然。  この女性が運が悪いのか、この男性に運がないのか分からない。 しかし自分がやったこととまるで同じことが いずれ自分の身に降りかかってくるというのは世の常。 何で其処まで脅すのかと、傍らで観ていた私に気づくと 漸く、男は捨て台詞を残してその場をあとにした。  空手では、自分より下の帯の人をとことん遣り込めるのはルール違反。 しかし、逆に下の帯の人が 突っかかってきたらば受けねばならないし、その時に逃げるようなことは絶対にあってはならない。   今日の一件、女性や自分より弱そうに見える相手に罵声を浴びせることをやめなければならないのは明白。 人は外の世界に与えたことや、与えた作用と同じ力の反動を、そのまま自分の身で受ける覚悟を持たねば ならない。 狭いプールに勢いよく飛び込むんだ時のような激しい反動が時を経て自分自身に還ってきてしまう。  ちょうどそんなもの。 プールで泳いでみると水の抵抗が大きいことと、それに抗うと思いのほか体力を消耗して しまうことも分かる。 悪意を溜め込んだプールで泳いでいたとしたら悪意の大波を受け、 施しの心に満ちたプールで 泳いでいたら、いつもそれと同じような波の中に身を置くことになる。 どうせならそんな時間を過ごしてみたいもの。 人生に辛さや苦しみはつきもの。 生活の苦しみ、 働く苦しみ、 勉学の苦しみ、 恋愛の苦しみ、 介護の苦しみ。  順調なときは何でもうまく行く。 でもそんな春はあっという間に消えうせる。 その頂点だなと思った途端に人生は下る。 大事なのは、そこをどう乗り切るかであり、そこを堪えることが出来るのかに尽きる。  あの男性も家族を持っていたとしたら、それを背負いながら頑張っているはず。 重い荷物はたまには下ろして 休みたくなるもの。 しかし、それは決して下ろさず必死に生きねばならないと思う。 その方がこの先どう生きるかは 分からないし、また、どう生きようと私が口を出すものでもない。 ただ易きに流れ、背負うものがない男の顔には 魅力はない。 ただそれだけのこと。  この男気、わかるだろうか。

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