この世はまったく一寸先が読めないとはよく言ったものです。  「意図して表示を替え『利益を上げよう、客をだまして商品を売りつけよう』とした悪質なケースはない」 「『原価率を下げろ』という無言のプレッシャーがあったという証言もある」 「会社として、必要以上に利益を捻出するよう指示したことはまったくない」 などと胸を張っていた企業トップの姿を思いだします。 この方、1980年に慶大経済学部を卒業し、 阪急電鉄入社。 その後2007年には取締役に昇格。 その後も順調に役員人生を全うされ 4年後の2011年には常務に、そして、とうとう阪急阪神ホテルズ取締役専務執行役員に就任され、 つい先日の11月1日までは阪急阪神ホテルズの社長を務められた53歳の男性。 私が最初に テレビで拝見した時に抱いた印象は、「若くして上り詰めたやり手」でした。 まさしく飛ぶ鳥を落とす 勢いで出世街道まっしぐらであったはず。 それが10月24日の自主会見を境に天と地がひっくり返った ような騒ぎに見舞われ、あっと言う間に辞任し肩書きが取れ、ただの人になられました。  その方の最初の記者会見では、「悪かったのは一部の社員である」 と言う説明で、企業イメージを がらりと変える会見にされたのはご自身。 自分で自らの首を絞めてしまったようなものでした。  食材の偽装発覚は自分の所だけではないのに何故、槍玉にあがるのかと言いたかったかもしれません。  しかし、つまるところ、自主会見をしなければならなかった背景があってのことなので会社の体質の 甘さや、その他、やはり成るべくして、いや遅かれ早かれ、いずれはそうなったのであろうと思える ような、用意不足の、あぶなっかしさがにじみ出た会見であったことには間違いなさそうです。 処世とは、いったいなんだろうと思わざるを得ません。  一に仕事を大切にすること。 二に身の回りを清潔にすること。 見えない心の塵や埃もはらうということ。  三に人の嫌う事をしない。 逆に言うと人の長所を認められる人間であるということ。  そして最後にアホになることかなと今はそう思っています。 しかし、この最後のことが意外と難しい。  自分を良く見せたいと思うし、知らない事を素直に知らないと言い難い場面もある。知ったかぶりを したい気持ちもある。 しかしこのアホも故意にアホを演じるのは嫌味で、かえって腹黒さが目に 付いてしまう。 であれば、「つたない」、「小細工をしない」そんな人間でありたいと思う。  不器用な人生でも結構。 ドンと腹を据えて目先のことにとらわれず、 ただひたすらに拙な部類の 生き方に徹することが大事だと、今回の一連の騒動が教えてくれたような気がします。 

人は希望に満ちている時は「輝いてるような顔」に見えるもの。 逆に失望し落胆している時の顔は 光を失くしみすぼらしい顔や姿に見えるもの。 それを表してか影が薄いとはよく言ったものである。 目には見えず形もない心とか、気力とかと言うものが如何に大事なものかと思えてならない。 草や木の根も土の中にあって人の目には見えないもの。 しかしこの根があればこそ、草や木が 育つのである。 これから訪れる冬には何もしないで、ただジッとしているように見えるけれども 実は土の中で一日も休まず懸命に養分を吸収しようとしている。 このように目に見えないところで 精一杯生きて十分な働きがあるからこそ、春が来たら花を咲かせるのだろう。 その春の花を見て花見に 浮かれる人は多くとも冬を耐えた根の働きに思いをはせる人は少ない。 人も同じように心に養分を 吸収することを怠ってはならないと思う。 心を豊かにして、広く正しく育てる努力があればこそ 時期が来て、人生の花をさかせることが出来るのだろう。 中には自分で、自分の根をせっせと掘り起こしている人がいる。 これでは折角、実りの時期が巡って 来たとしても花が咲く道理はなさそうである。 ならば正しい心と言葉と行いの実践によって、目に見えないところで自分の根をしっかりと太くして 行かねばならないのだろう。 人生のいかなる嵐に巻き込まれようとも、びくともしない心根を大事に 育てて行きたい。 私は世間の垢に染まって、転がるだけの人生を歩んでいる時にいつもこのことを 思いだすのである。  「怠惰に生きた100年よりも精進した1日の方が尊い」 と。

「お母さん、ぼくいくつだったっけ」と言ったのは中学生のころの長男。 何とも幸せな子供かと思った のと、また同時に、大丈夫かよこの子は。と口には出さず様子を眺めていたものです。 赤ちゃん椅子に座って離乳食を食べる時も、食事中に寝てしまうような、良く寝る子でした。  それは今も変わっていません。大学4年になっても休みの日は昼過ぎまで寝ています。 国公立の医学部を目指し1浪をして挑んだセンターでミスが出て85%、これでは国公立の医学部には 手が届きません。 いや琉球大学や、高知大学、佐賀大学なら可能かも。しかし佐賀は偏差値が 高くない割に合格するには壁があります。なぜならば理科の科目が他の大学より1つ多いという事実。 どんな人が受けるんだろうと思えるほどです。 佐賀大学の医学部は全教科に均等な学力を持って ないと合格には至りませんが物理、化学、生物の3教科が得意な学生には適しています。  先日、子供にどんな勉強をさせたらいいのでしょうと質問されたのですが、よく分かりません。  その子の特性があるからです。 但し、一つ言えるのは理系でも国語が大事だと言う事。 もちろん数学、物理、化学が得意でなければ医学部はとっつきにくいものだと思いますが、それでも 国語が出来ないと合格ラインには近づかないように感じます。物理も数学も医学部の問題は 日本語で書いているのにその問題の意味が分かりにくいのです。文章を読んでも何を聞いているのか 分からなければ答えもおのずと知れたものとなるでしょう。 では子供のころからどうしたらのでしょう。 私のお勧めは幼稚園、小学校の低学年ではもちろんお母さんとの読書。幼いころから文字を通して   空想する習慣をつけることが大事です。 それと何より机に向かう根気を養う事と体力を作る事。 勉強は体力です。 身体が病弱では中学から高校以降の長時間の勉強について行けません。  そして何より寝る力。 寝るのも体力が必要なのです。 寝ることとは深く寝ること。 浅い眠りではなく 地震があっても起きないほど図太く寝る子であって欲しいものです。お風呂に入るのもゆっくり肩まで。  カラスの行水ではなくお風呂でゆったりすることで病気にもなり難いのです。体温が高い状態を 維持することで免疫力を向上させているのでしょう。  今の日本の受験は冬です。インフルエンザが流行る乾燥した冬場に初めて体力と健康な体に感謝する ことになるのです。 幼少から低学年のお子様をお持ちのお母さんには是非、子供と一緒に本を読む習慣を作ることを お勧めします。そして根気を養い、体力を維持することに努める。 あとは良く寝て、のぼせない程度に 長くゆったりしたお風呂。これらのことが意外と大事だと思い子供を育てて来ました。 このまま順調に行けば2014年に5年生、15年には6年生、そして16年には漸く国家試験。 果たして、ここまで行きつけることやら。小学1年生の時に医者になりたいと言って17年が過ぎました。 いったいいつなのだろう。 その夢は実現するのだろうか? 親心はまだまだ揺れていて、1年という時間 の立つのがこれほど遅いものかとやきもきさせられています。うちの富士山はまだ七合目なのですから。

サルは、生まれてすぐに両手でお母さんの身体にしがみつくことが出来るので、おっぱいを飲んだり、しがみ付いたり することができます。 そして5-6年で自立して仲間の中で生活して行く事が出来るようになります。 そして子供が 自立すると、また母親は次の子供を産むのです。 子供一人を育て上げてから、ようやく次の子を育てるようになる。 必ず、一人づつ育てて行くのがサルです。 しかし人間は成長するまでの10数年の間に複数の子供たちを育て上げる のです。 私の母親の年代は兄弟が8人もいました。 それを母親が一人で育てあげるのが人間です。そして人間の 赤ちゃんは、ただ泣いてるだけで自分では何も出来ません。お母さんの助けがないと死んでしまうのです。 一般的に 霊長類のメスは死ぬまで子供を産み続けるのに人間の女性は子供を産む機能が無くなってからも20-30年生きます。 つまり、子育てを見守る人になる訳で、そういう多くの人からケアを受けながら育つ子供は、いろんな経験を与えられ コミュニケーションをしながら育つことが出来、それが生きる生存可能性を高めることに繋がるのです。複数の中で あやされて育つ子供とお母さんとだけで閉ざされた環境の中で育った子供では笑顔の出方と、他人の心への気づき という社会的能力の発達に差がでるようです。 実はこれが大事。 多くの人にあやされながら子供は様々なまねを して経験いく過程を持つ。 それが大事。 まねるとは相手の気持ちに気付くこと。 人間はまねをする動物。 成長していく過程で自分を取り巻く環境がどんどん変わって行く。そしてまねる対象がどんどん増えて行く中で心も 成長していく。 たくさんの人との出会いが自分を客観視する能力を自然に高めているということ。 つまりお母さんが 一人で頑張るのではなく、周りの環境の助けを受けた方が子は育つということ。 その考えは京大大学院の明和先生 の研究に基づいたものであり、それが自然の流れのようです。   空手クラブには、多くの子供がいます。 子供の中で子供たちは刺激を受け、多くの御父兄の中で、まねることを 覚えて生きる為の適合能力を高めてもらいたいと思っています。 

日頃、お酒を飲まない元有名サッカー選手が朝方まで酒を飲み泥酔してタクシー運転手に暴力をふるった というニュースを昨日は度々目にしました。 タクシー運転手が通報したのではなく、それを見ていた人が 警察に通報したというもの。 ふと頭を過ったのは、たまたま人が居たところで気を利かせて通報する人が いたから、明らかになったことであって、世の中には、こういう類の事件でも埋もれて世間には表れてこないもの も意外と多いのではという思いでした。 それとともに、この事件、相手の方も軽傷ということであれば、さほど 大事にするべきものでもなかったかもしれません。但し有名人である以上多少大事になることは止む無しですが。 この事件の少し前にしまむらというスーパーの店員に土下座を強要しtwitterにその様子を載せ公にした事で 逮捕された事件も、やり過ぎではという思いで見ていました。何がやり過ぎなのか?というと土下座をさせるのも やり過ぎ。そして、それが元で逮捕に至るのもやり過ぎ。 何とも逮捕ということが身近になった世の中である ものかと痛感させられたニュースでした。 便利なツールも使い方を間違えると危なっかしい、ギクシャクしたものに 変えてしまうものであるということを心得ておかねばならないようです。警察は鬼の首を取ったかのように逃げない 相手にぞろぞろ集まります。まるで凶悪犯を捕まえるかのように。  元サッカー選手の場合、何故そういう行為を取ったのかは本人しかわからないことですが、しかし日ごろから暴力 を振るわない人であっても、その人の心の中はわかりません。 そういう真面目な人だからこそ、積もり積もったもの があって、お酒が箍を外してしまうと、結果としてこういう事態に陥るのかもしれません。  今の世の中は、まるで強い風に揺れる吊り橋を渡るようなもので足もとが大変心もとないように感じられて なりません。 いつもハラハラドキドキ、小さくこじんまりと生きるに限るなどと思ってしまいそうな風潮もチラホラ 見えかくれしてきます。 その流れに抗うように自分は、せせこましく生きたくはないし、ましてや子供には、 おおらかに生きて行って欲しいと思うのが正直な親心ではないでしょうか。 ならば、この世の中どう生きて行けばいいのでしょう。 ある人は言うでしょう。「人を尊重して生きて行く」と。 そしてある人は言います。「何事にも感謝をして生きて行きます」と。 またある方が言います。「悪口を言わ ないようにして生きて行きます」と。 最後に別の方が言います。「私はただ一つの事に徹して生きて行きます 、徹すれば通ずるで、一事が万事に通ずるはずです」と。 いずれの方も「もろもろの悪をなさず、もろもろの善 を行う」という規範には外れてはいません。 人は多くのことをやろうとするとどれも中途半端に終わります。 つまるところ、こういう簡単なことを一つだけでもいいから、やり通す生き方が大切なのかも知れません。  「心が変われば態度が変わる」 「態度が変われば習慣が変わる」 「習慣が変われば人格が変わる」 「人格が変われば人生が変わる」   「あらためることに、ためらってはならない」 「あらたむるに、遅きことなし」 「これからでも決して遅くはないのだから」 

大学の空手部の合宿は奈良県吉野でした。木こりしかいないんじゃないかって思えるほどの山奥。 そんな山奥で修業されてる人がいたとは当時は知りませんでした。 千日回峰は比叡山が有名。  でもそれよりも更に過酷なのは大峰山の千日回峰。それが吉野で行われているのです。1300年も 前から。 標高364mの吉野蔵王堂から標高1719mの山上ヶ岳の大峰山寺までの片道24kmを 標高差1400mを毎日15時間かけて往復するというもの。 比叡山のそれは30kmと言われてますが 実際には24-5kmとのこと。 つまり吉野大峰山の千日回峰はその倍の長さの48kmを1400mの 標高差がある中で5月3日から9月22日までの120日間を休まず往復するという最も過酷なものです。  比叡山も過酷なものなので400年で達成者は47名のみ。 しかし吉野の大峰山千日回峰は更に 少なく1300年で2名と極端に少ないのは、こういう訳だったんです。48kmを1400mの高低差の けもの道を歩けば普通は1日でも膝に水が溜まってしまうでしょう。 それを1年休まず120日歩き 続けて、それを9年かけて満行となるような荒行は他にないかもしれません。 気が遠くなるような 修行です。 それを1999年に満行を迎えられたのは塩沼亮潤大阿闍梨。現在44歳。 その塩沼 様が影響を受けたのは比叡山で二千日回峰を満行された酒井雄哉大阿闍梨。その師匠は箱崎 文応大阿闍梨。みなさん満行された方です。 箱崎様は名前でおわかりの方もいるかもしれません。 いわきは小名浜の方です。 39歳の時に自分が乗っていた船が沈没し2人しか助からなかったことで 人生の無常を感じて比叡山に入山された方です。 偶然助けられた命でした。 その方の元に来たのが 学校でも落第生、その後仕事についても怠け癖がぬけず中途半端な人生を歩んで来られた酒井様。  大阪で暮らしていた頃に奥さんが自殺したのが酒井様がこれまた39歳の時。 大変落ち込んでいる姿 を見かねて近所の方に連れて来られたのが比叡山。 せっかく来たんだから、と礼拝行という立ったり 座ったりを百八回繰り返すことを仰せつかり、そのままその行をやり通してるうちに、又せっかくだから みんなと一緒に生活しなさいと言われて、訳も分からず、ぐるぐる回ってるうちに比叡山に出家して しまった方が酒井様です。 後々千日回峰を満行されるとは誰も想像出来なかったと思います。 この酒井様が47歳で千日回峰を始める日として師匠の箱崎様が指定したのが箱崎様自身の誕生日 であった4月7日。 実はこの4月7日は酒井様の奥様が自殺された日でした。 その日に酒井様は 荒行に出て行ったのです。  「毎日毎日、一日が今日は今日でお終いだ。明日は違った自分が生まれてくるんだ。とやっている うちに気が付いてみたら、二千日が過ぎてしまった、ということだけで、それだけのことじゃないですか」 と千日回峰を2回満行された時に酒井様は言っておられたことを思い出します。  私が壁にぶつかった時に、いつも思い出す言葉です。 「今日は今日でお終い」

桃栗三年、柿八年とはよく言ったもので、自然界の鉄則です。 そして、こういう見方は人間にも同じように 言えるかもしれません。ダンプのような人、軽四輪の人、スポーツカーの人、ワンボックスカーの人。 人はそれぞれ持って生まれたものがあるのでしょう。それを見誤っては人生棒に振ることもある ように思えます。 そういう目で見ると、人によっては桃や栗の人もあれば柿の人もいるという事です。 柿は栗の真似は出来ない。 自然の柿は悠々として柿そのものの生命を生きている。 悠々と生きて その時期を待っている。 ただ、この「待つ」というのは、漠然と時間を過ごしながら待つのではなく 一時一時を大切に生きると言うことが大事なのだと思います。 今日という日を平然とやり過ごし 平気で粗末にしているようでは、花が咲くころなど永遠に来るものではないと思っています。 一日一日を大切に一所懸命生きてこそ、時期が来れば実がつくのだと思います。 それが桃と栗は 三年、そして柿は必死に生きて八年目のことです。 自分の立ち振る舞い、発言などを振り返ることも なく、懺悔の念などお門違いなどと思って生きる、よこしまな人や怠け者には清らかな花を咲かせ、 実を結ばせるような時期は永遠に来るものでない。 横浜といえども青葉区には、まだ畑も残っていて家の側の裏山に真っ赤な柿を観ることが出来る。 私は、それが黄色い花を咲かせた時も、青々と葉っぱをお天道様に向けていた時も、そして葉を落とし たわわに実る真っ赤な実をつけた時も、観て来ました。 そしてその柿の木が栗よりも五年も遅く 実をつけることなど頓着なく精一杯活きて地面にしっかり根を張った姿を私は決して忘れない。  

以前は「戴きます」も言わず、何も気にせず食事をし、トイレも億劫に感じながら用を足してました。 食べ物を食べて、必要な栄養分を吸収して、余分なものは排泄する。 動物はみなそうしてます。 何でもないことのようですが、そうでもないのではと最近思うようになって来ました。 自分の知らない うちに胃や腸、そして心臓も肝臓も、はたまた膵臓というものまでも、私の身体には、様々な臓器が 出来ていて、それらが全力を上げて懸命に働いてくれている。 私が起きていても寝ていても。 しかし、これは自分でそうしようとしても出来るものではありません。そう思うと、自分の身体だから 自分のものと思うのは、大きなあやまりのように感じ出したのです。 その証拠に自分の身体だと 言っても全く思うようになりません。こんな時に病気になりたくないという時に限って熱が出ます。 ここは踏ん張ってと思う時にお腹が下痢をします。 くしゃみなどはしたくもないのに出ます。 そして死にたくない時に死ぬのでしょう。 自分のものだと言えるはずありません。 それを勘違いしてるから、不足や不満も、そして粗末にも扱ってしまうのだと思います。 この身体は、少しの間、お借りしてるだけだと思わねば、私は自分の身体を粗末に扱い、無理を 重ねてしまいます。そんな自分がいることに気付きました。 たとえそれが傷だらけで言う事を聞かない ポンコツな身体であったとしても、感謝をして日々大切にして、お返ししなければと思うのです。 健全な精神は健全な身体に宿るといいますが、あながちそうでもなさそうです。健全な身体を 持っているのに悪事に手を染める人は数え切れません。 ならば健全な身体でなくても日々感謝 をしながら生きて、普通に暮らせることをありがたいと思わねば罰があたるのではないかと思うのです。  深呼吸が出来るのも、飲み物が飲めるのも、道を歩けるのも、夜寝れるのも、気持ちのいい朝を 迎えられるのも、おいしいものを食べるのも、そして普通に用を足せるのも、有難い。  そんな時に私は心の中でいつも思っています「合掌」とは、こういうことかと。

毎年秋に行われていて今回で31回目を迎えた浜井派の大会がある。子供やシニア、女子の部を 写真は大会会長の羽場本部長。 いれると参加人数が650名にもなる北陸で最大の大会です。今回は中国からも2名の参加があり ました。 ジャン・ハイビンとスン・ロンチェン。野性味のある二人でガッツのあるいい選手。 この写真はジャンが顔面殴打を入れてしまった瞬間。カウンターで入ってしまいました。そして次の 写真はスンの上段跳び膝蹴りで一本勝ちのあとの写真。  左の内もも、ボディーへの右の膝、左の膝、そして再び右の膝のあと顎へ。相手の選手は4段。  わずか10秒で気絶したまま丸太が倒れるように前のめりに倒れてしまいました。 スンは181cmで85kg。ばねがあっていい選手です。何より20代で若い。 後列左から2番目がベスト8のスン、後列右端が浜井代表、そしてその左が敢闘賞のジャン。 優勝は桝田弐段。 来月、上海大会に出場されるようです。 是非、そこでも優勝を狙って頂きたい と思います。あと今回は女子にもいい選手がいました。 圧力をかけながらの下突きがいい。 審判団も強い人が多いです。一番左は松井派の重量級で2年連続で準優勝の中川先生。今でも 強い方です。スンの脇腹が万全ではなかったのは、中川先生とスパーをやったから。そして 聞けば、今は新極真の選手の出稽古も快く受けてらっしゃるようですが、その方とのスパーで は顔面パンチが入ってしまい、前歯が歯ぐきの奥に刺さって奥の方で折れたとのこと。 いや、長野の新極真の選手も災難です。100kgを超える中川先生の右手の包帯はその歯を折った ときの傷。 以前私が在籍していた東京城西の道場にも同じくらいの体型の先輩がおられました。 186cm120kgの吾孫子先輩。試合前には絞って100kgに落とされてましたが何をやっても効かない 熊のような方です。100kgを超える方とのぶつかり合った衝撃は半端ではありません。 中国の 上海大会もそんな100kgを超える選手がいるでしょう。しかし桝田選手には是非華麗な足技で 勝ちあがってもらいたく思います。

涼しさ、寒さを感じると、何だかそろそろまた始まるっていう気持ちになります。 医者が本当にいいのか それとも要領よく生きる方がいいのか、それは全くわかりません。 幸福に暮らすとは年収や肩書で 計れないものなので。 しかし親として子供の将来を考えた場合、医者はより安定した職業であるように 思えるのです。 しかし子供への教育費から考えると理系より文系の方が安上がり。であれば 文系で優秀な成績を収めてくれて大学を出たら銀行員になってくれるか、はたまた総合商社にでも 入ってくれた方が親としては楽かもしれません。 20歳台では勤務医にはかなわないにしてもUFJの 支店長か、物産の部長、課長クラスにでもなってくれたら勤務医と同等の収入にはなっているはずなので。 ならば、その方がいいに決まってる。でも実際には、そのポジションって意外と難しい。 頭の良さも 必要だけれど体力とお酒の強さや、人付き合いの良さや、機転がきくなど学校で習わないような、その人 の人間性が試される職業なのだ。 簡単に言うと東大を出たから必ず出世すると言う訳ではなく 売れッ子の芸人のような利発さと不屈の精神がいる職業なのかも知れません。理系の我が子は、 間違いなくそんなタイプではない。 それならばコツコツ医学の道を極めてもらうしかない。  そしてまた、今は、こうも思っています。 我が子が小学生低学年だとしたら、どういう道を歩ませるのか? と言えば。やはり医学部です。 しかし一般入試は避けます。 間違いなく付属校に入れて偏差値の難易度を下げた門をくぐらせて あげたい。 ただひたすらそう思っています。 ならばどこへ。 お金があるなら東海大浦安、東海大相模でしょう。東海大医学部学費が高いのですが20名の内部推薦枠 があるのですから。 偏差値も高くなく医学に触れる、比較的平坦な道があるのです。その20名枠の 85%をこの2校が占めているので、選択肢の一つと言えます。 あとは長野日大、日大豊山、日本大学 (日吉)が16名の日大医学部の枠を60%を占めます。 しかし内部推薦が多いのは断トツで慶応医学部。 慶応の枠は43名ほど。外部から入ってくる一般入試組とは明らかに学力の差があるというのは もっぱらの噂。でも入ってしまえば同じではないかと単純に思います。 2014年度の慶応医学部の 難易度は駿台、河合、代ゼミの平均で割り出した数値では東大に次ぐ2番目、3番は京大、4番阪大。 つまり慶応医学部一般入試の合格者は開成、灘、麻布、双葉などを出た生徒。つまり慶応の生徒が 高校入試で入れなかった学校の生徒たちなのです。 だから大変狭き門になるわけです。天才の 集まりかも。 内部推薦枠43名との差は歴然。でも慶応医学部には変わりなし。 ならばこの路線が いいのでは。 日大の推薦枠は15名。倍率・偏差値ともに意外と高いのです。 しかし慶応高校ならば 日吉からは22名、志木は7名、藤沢も7名、女子は5名も。 しかし、一番行かせたいのは慶応 ニューヨーク学院校。 ここは2名しか枠がないのですが理系が10名ほどしかいないのです。 そこで 医学部推薦は2名枠も。 あまり知られていませんでした。 ここは親が日本に住んでいてもいいのです。  穴場とはこのこと。 今、我が子が小学生低学年であったら私は間違いなくここを受験させるでしょう。  その為には英語だけは慣れ親しませておきます。子供の為には、医学部一般入試の苦労はさせたく はない。これが本音です。 それほどキツイものがあったと我が子の医学部受験を観ていてそう思い ました。 その長男はまだ4年生後期に在学中。 まだまだ、ハラハラドキドキさせてくれています。  ピークは2016年3月の国家試験の結果発表。 あと2年半で順調にその時を迎えてくれることを 祈るばかり。 土日に出会う多くの子供たちの中で、何人かの子供には、その道の可能性を感じる時が あります。 そんな時には「大きくなったら何に成りたいの?」と聞くようにしています。  ただ漠然としたもので終わらせるのではなく、より具体的なものにしてあげるために。

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