医学部 その10
過去10年間の医師国家試験の合格者数と合格率を整理した資料にお目にかかることはありません。多くは合格率のみ。 この合格率が曲者。 各大学医学部では合格率を上げるために国家試験受験者数を絞っている実態があるからです。 見せかけをよくしていても実際に医学部の学生が医者にならなければ意味がありません。その為に過去10年の合格 者数を見てみると以下のようになります。 ベスト30に東大は入っていません。入試では最難関なのに。 1 昭和 1,107名 2 日大 1,080名 3 東京医科 1,059名 4 北里 1,037名 5 藤田保健 1,027名 6 九州 1,023名 7 東京慈恵会 1,018名 8 東海 1,016名 8 三重 1,016名 10 久留米 1,012名 10 千葉 1,012名 12 東北 1,010名 13 名古屋 1,002名 14 自治医大 998名 15 獨協 997名 16 筑波 996名 16 京大 996名 16 札幌医科 996名 19 阪大 995名 19 滋賀医科 995名 21 愛知医科 994名 21 北大 994名 23 東京女子 993名 24 金沢医科 992名 24 弘前 992名 24 浜松医科 992名 24 宮崎 992名 28 福井 990名 29 神戸 988名 29 熊本 988名 以上がベスト30ですが、残りの50校を含めた資料をここに開示することはしません。 ご要望があればつたない 資料ではありますが個別に開示しようと思います。 全国80大学の国家試験合格者数と合格率の一覧表を 見ると一目瞭然。 そこに大学入試の難易度と6年間の授業料一覧を比較するとどこの大学にご子息を入れたら いいのかははっきりします。 全国80の大学の中で「大学入試の難易度が比較的低く」、また「学費が安く」、 なおかつ一番大事なのことは 「国家試験に受かり安い」 大学はどこなのか? を書いた本がないのです。 医学部入試から国家試験までを網羅し、80大学の良し悪しを押しなべて比較した資料がないので自分で創った のです。 その中には「入ることを薦められない大学医学部リスト」もあります。 小学生の時から医学部への道 を志すならば、約8年くらいは辛抱しなければなりません。 浪人をすると10年はざらです。 そこまでに要した 学費は回収したいのが親の本音。 子供の行く末を安泰にして、しかも投資の回収は出来るようにしたいものです。
金澤翔子
東銀座には歌舞伎座があります。 着物を着飾った上品なご婦人方の街。 そこから北へ歩くと3分ほどで書道家の美術館 に行き着きます。ダウン症の書道家。鉄の扉を引いて中に入ると心で書かれた文字の一つ一つが目に飛び込んで来ます。 つくろうものがない純粋さが、その空間に満ちているようで時間を忘れて観ていました。私は本物を感じたくて、その美術館 で時間を過ごしていました。 社会の構造や数列、科学的知性は持ち合わせない彼女には地位、お金、効率、合理的という 言葉もないようです。 でも幸せな日々を送っていることが文字から伝わって来ます。 純粋な魂の領域で書かれた書道 に感動するのかもしれません。 私はそんな無心な書道家にいつの日かお会いしてみたい。 そんな気持ちで帰って 来ました。 本物には時間を割いて出向いて行きたい。 いつも私はそう思っています。
医学部 その9
2010年2月17日の藤沢氏(外資系金融トレーダー)の見解に以下のようなものがありました。 「理・工学系で日本の最高峰といわれる東大理1の学位取得10年後の平均年収は約880万円、医学部卒業生の平均年収は 1,600万円以上。しかも理1卒業生は会社経営者などの非常に少数の成功者が平均値を釣り上げているが、大多数は 500万円~700万円しか稼げない。また約5%が東大に行ってまでワーキングプアに身を落とすことになる。その点医学部 卒業生は平均年収の高さもさることながら、そのバラツキの少なさは注目に値する。悪くても1000万円ぐらいは稼げるの である。つまり、医学部の方がリスクも少ないのである。リスクが小さくリターンも大きいなら、それを選ばない人はいない。 このようの考えれば「なぜ田舎の国公立医学部は東大より難しいのか?」という問いは馬鹿げているように思える。 その証拠として、東京医科歯科大学などの首都圏の医学部は、東大理1よりもはるかに難しい。以上のように、将来年収の 期待値を考えれば、日本の異常な医学部人気も、標準的なファイナンス理論の枠内で全て説明できる。偏差値の高い高校生 が医学部に進学し、親もそれを勧めるのは、要するに金なのである。また、結婚市場においても、医師の強さは突出してる。 いわゆるイケメン/ブサメンによる二分類で、ブサメン側にカテゴライズされる医師でも、かなりの美人と結婚するケースが 多数観測されている。その点、同じ側に分類される東大理1卒業生で年収500万円のエンジニアがかなりの美人と結婚する 可能性はほぼ絶望的といっていい。美人という限られたリソースの分配もやはり医師に集中しているのである。これでは 偏差値の高い理系高校生が、理学部や工学部に進学することこそ異常な行動であろう。ところで、美人と結婚したブサメン 医師の子供が、お母さんの容姿とお父さんの頭脳を受け継ぐかというと、実際にはその逆が驚くほど多い。つまり、お父さん の容姿とお母さんの頭脳を受け継いだ子供が生まれるのである。そんな子供が適齢期になると背中にNの字がついたリュック を誇らしげに背負い、中学受験にはげむというわけである。むろん、お母さんの頭脳を引き継いでいるので全く出来が悪い。 いきおい医学部入学のために何年も浪人することになる。これでは貴重な教育資源の浪費ではなかろうか。」 このコメントを書いた藤沢氏は医者になるまでの苦労とその道のリスクに目が向いていません。医学部を卒業するまでに親が 投資をする額と人生で一番輝いている青年期に脱落してしまう秀才達の数が年間1100名もいることが、この道の大変な リスクであることを知らないようです。 多くの学生と、これから医師の道を進ませようとするご父兄様には、このことは 最低限理解して、それでもあえて進むのどうか判断して頂きたいと思います。 世界の人口が19世紀から飛躍的に増加してます。 医学、科学、化学、薬学の進歩の賜です。 帝王切開も日本では 1852年に初めて行われました。欧州も19世紀から。しかし当時は80%の妊婦は亡くなられてます。その後の進歩でかつて は亡くなっていたはずの命が助かっています。ワクチンも開発され、多くの命が救われました。医者になる人はそういう 人の命を助けるという志がなければならないと強く思います。
医学部 その8
ご子息が小学生だとして、今から医者を目指すとするならどうするかについて書いてみようと思います。 確かに 国公立狙いは一番金銭的には楽なので、それがいいのですが、それは至難の業です。相当の天賦の才と運が ないと難しいと思います。 小学4年から中高一貫有名校を目指すのは当たり前。 その学校に入るには もちろん小学校で1番か2番でないとなりません。 それでも中高一貫有名校に入りトップ10に入らないと国公立 の医学部は遠いものです。 ならば国公立を諦めて私立一本で行くというのもいい方法。 私は今はそういう戦法の 方が良かったと思っています。 行きたい私立の医学を決め、その過去問を徹底的にやり抜いた方が国公立崩れ よりは合格しやすいはずです。もちろん国公立を狙っている学生の方が学力は上ではあるのに下手な戦略を組んで しまうということです。 今は私立でも6年間で2000万円(1年間の授業料が333万円)ほどで入れる医学部が ありますし、もし僻地に9年勤務するという覚悟があるなら授業料免除という医学部(自治医科、産業医科)があります。 つまり勉強の教科を絞って、徹底した過去問戦術で行けば、サラリーマン家庭でも余裕で医学部を狙えるということ。 私はそれを知らなかったために、国公立狙いで進めて、途中で私立へシフトしたのです。 中でもねらい目は 内部進学です。 医学部を大学受験で受ける場合、大変な偏差値に出くわしますが、ある高校に入りトップ5に 居れば医学部への推薦入学があります。 一般入試では68名しかとらないので偏差値は高いのですが推薦 の内部進学では42名も取ります。であれば目の色を変えた秀才ばかりの戦場ではなく、まだ戦火の緩やかな 高校受験でその学校に入っておくパターンは一番の楽かもしれません。 医学部を一般入試で受ける場合の苦労は 高校受験の比ではありません。 それが一番いいパターンです。 今、その大学の医学部学生の中で一般入試で 入った学生と内部進学の学生のレベルが違うというのは周知の事実。 但しその大学も1学年で110名も在籍してる はずなのに国家試験を受験するのは97名。 明らかに合格率を上げるために留年をさせています。 しかし、この パターンが一番楽で、しかも金銭的にも比較的負担が少ないと思います。 お金が有り余ってるなら帝京か東海。 偏差値が低くても何とか入れてくれます。 但し入ってから負のスパイラルが待ってますので、留年を繰り返して しまう可能性は否めません。 医師国家試験に弱いのは聖マリアンナ、東京医科、東邦、昭和、北里、東海、帝京。 国試浪人の道は避けたいなら、これらは避けた方がいいでしょう。 最近学力向上が目覚ましいのは埼玉医科。 偏差値が低いのに今年の国家試験は99名受験して99名が合格。なんと100%。 6年で3800万円の授業料が 負担でなければ、そこもいいかもしれません。 たぶん、そこの教授陣が奮起しているから100%の合格率になった のでしょう。 さあ、今日の講義はここまでです。 それでは、この続きは「医学部 その9」で。
波平
TVの漫画はあまり観なかった方なので、サザエさんのこともよく知りません。 ただ魚の名前ばかり使ってるのは 知ってました。 そこに出てくるお爺ちゃんみたいな人がサザエさんのお父さんだと知ったのも最近。 興味がないので 覚えないのです。 サザエさんがカツオとワカメのお姉ちゃんであったのも知りませんでした。 てっきりサザエさん の子供で波平さんは祖父なんだろうと思ってました。 日本の古い漫画でよくも続いてるもんだなぁ、くらいに斜に 構えて観ていたのです。 ところがビックリ。 波平さんは54歳。 私と同じ。 でも何であんなに剥げてるの? 会社は銀座の晴海通りにあって 以前の役職は局長。 それがいつの間にか降格して、今では平社員らしいです。 昭和26年に朝日新聞に連載されるころに福岡から東京の桜新町近くに住んでいると聞けば、いやに身近な漫画。 そうだったのかと、知らなかったことがいっぱいありました。しかし一つ言えることは波平さんが年を取り過ぎているという ことです。まさか同じ年だなんて信じられませんでした。 私はまだまだそんなに落ち着こうという気持ちすらありません。 新たなチャレンジの意欲も持たず、ただ漫然と同じ毎日を繰り返すだけ。 そんな人生もあるのでしょうが、 私は心がワクワクしていたい。 何歳になろうと夢と希望に溢れる心を持ち続けたい。 たえず夢を描いて、その 実現に果敢に挑戦し、努力を重ねる限り、たとえそれが失敗したとしても私はこの上ない幸せを感じ、満足の中 で心が躍動してることでしょう。 そんな人生を歩んで活きたい。
医学部 その7
毎年2月、3月は各大学の医学部1次、2次、繰上合否結果が発表され、3月には大学別医師国家試験結果が発表 される。 最終的に医者を目指して15-20年間、勉強してきた秀才たちの中で今年、医師国家試験に合格したのは 合計7,696名。 そのうち新卒=7,205名(93.1%)、 既卒=491名(59.4%) 出来る事なら6年間の学費が350万円程度の国公立大学医学部を希望しますが、それは容易い門ではありません。 私立の平均は6年間で約3000万円。 地方では家が一軒建ちます。 それを子供に託す訳ですから私立の医学部 に入った場合は勉強に専念してもらいたいというのが親心。 私もそうでした。 国公立医学部受験用に駿台予備校 の国公立医学部コースに長男を入れ挑んでもらいましたが、センター試験で90%を取れず志望校には縁がなかった のです。 私学も滑り止めとして受けてもらいましたが、本音は授業料を考えるとやめて欲しいというところでした。 ただ、国公立が落ちてしまうと医学部ならどこでもいいから受かって欲しいという気持ちに変わってくるのが2月、3月。 それまでにセンター試験で早稲田、昭和大学の歯学部は受かっていても、頭は医学部から離れない訳ですから初志 貫徹を願うのみ。 そこで受かったところが3校。 合否はすべてインターネット上で分かるので、会議中であろうが、 外出先であろうが、パソコン画面にくぎ付けでした。 受験番号を見つけたときの嬉しさは今でも忘れられません。 それが入試です。 歓喜と感動です。 これまでの10年の勉強の成果ですから、子供以上にガッツポーズをして いたかもしれません。 今、4年生になり親の気持ちとしては、あと3年頑張って欲しいという気持ちと、もう留年は 止めて欲しい。そして何より「国試浪人はやめて欲しい」のです。 医学部卒業後に国家試験で落第した場合の 翌年の合格率(既卒者合格率)は60%です。 贔屓目に見ても、二人に一人は落ちると考えるべきです。6年間の 授業料を払って医学部も卒業したのに医者にはなれないのです。 また問題が大きいのは、卒業寸前の6年生で 留年決定する場合です。 各大学共に今や国家試験合格率が偏差値に与える影響があるとみているために、 国家試験には受からないレベルの学生を卒業させないのです。 私立でこれが甚だしいのは帝京、川崎、埼玉、 北里、金沢医、福岡、岩手、昭和、愛知医、東京医、東海。 ここの学生の親は金銭的に大変だと思いますし 御子息は精神的負担が大きくのしかかり、留年が続けば社会から取り残されるという思いに駆られてしまうでしょう。 医学部受験生は、実はそういうリスクが付きまとっていることを知っておかねばなりません。 国家試験まで行き着いて 合格すれば天国。しかしそこまで行き着かない秀才の数は意外に多いのです。 ちなみに今年の国家試験出願者数に 対し不合格者は1,102名もいます。 毎年1,000名が落ちて再受験に挑むのは900名程度。 約100名はゴール 寸前で夢を諦めています。 悲惨です。 もう27歳~30歳でしょう。 その後の仕事は何をするというのでしょうか? 理系の大学を4年で卒業し、一般企業に勤めていれば5年~8年生。 そろそろ現場のリーダーともなろうとする年齢。 医学部受験にはこういうリスクが付きまとっています。 長男は昨日の4月1日から授業が始まる為に朝6時半に大学 に向かいました。 いつの間にか頭は私よりはるかに良くなってますが社会経験がありません。 そしてその応用・生き方 もこれからです。 私自身、あと3年 親として、その実感をこれからも書いて参ります。 空手とは無関係ではありません。 空手クラブに来られているご家族で医学部に関心のある方はいるはず。 どのように医学部に行かせたのかに興味のある 方もいるはず。 私はそういう御子息と直接接して、その道へのアドバイスをして行こうと予てから考えてます。 土曜のみすずが丘の稽古の後は、今度小4になる男の子との自主トレと自主勉強(本読み)を欠かさず続けています。 但し、この生徒を医者にする為に勉強をしているのではありません。 今の学力を伸ばすために一緒に本を読むのです。 私は空手だけを教えているのではありません。子供達に生き方を直接教えています。それはこれからも変わりません。
正座
ようやく正座が出来るようになりました。かれこれ1カ月。 しかしまだ内ももに内出血があります。 青帯の女性の膝蹴り と内ももへのローキックです。 男性陣で体重のある方々と激しいスパーリングをやっても全く問題なし、なのに何故? その方の叔父さんは山口で芦原会館の道場を持っておられる先生。 弟さんは先日の山口の芦原会館の大会で優勝。 で、その方は以前、芦原会館で6年稽古して黄色帯だったとのこと。 私もフルコンタクトをやり始めたのは京都の 極真会館芦原道場でした。 若き日の芦原先生に道着の背中に大きな「芦原英幸」というサインをしてもらって稽古に 励んでいました。 芦原道場の人は膝、肘、禁じ手が得意。芦原先生は特に肘打ちが早かった。二宮先輩も中山先輩も。 なんだ空手一家の人だったのか、ならば強いはず。というか当て方を知ってる。 がむしゃらに当てるのではなく当たると 痛いという当て方になっている。 あとは男性陣があまり、この方を怖がらずにミット稽古やスパーリングをやってもらいたい ものです。 少々怪我をしても余裕を見せてもらいたいです。男性が女性に必死になる姿はあまり見たくないので。
医学部 その6
毎年3月は医学部進級判定会議があるので、気が休まりません。長男の四年生への進級結果発表が今日の昼に大学に 掲示されました。 あれからようやく1年が経ちました。 長い長い1年でした。 去年の3月17日に速達で送られてきた封書 を開封するのと同じくして長男からの電話を受けました。 「お父さん、ごめん。留年になった」とポツリ。 私は信じられ ないという思いと、1年間の余分な学費約5百万円が肩に圧し掛かってきたようで一瞬言葉を失くし、出て来た言葉は 「じいちゃん、ばあちゃんにも自分の口から説明するんだよ」とだけ言って電話を切りました。 本人もまさかと思っていた らしく、仲間内でも信じれないという声が多かったようです。しかし、自宅の親に速達で送られてきた成績通知表では すでに前期の成績で留年が決まっていたようなものでした。秋に行われた面談では 「前期が良くないのでよっぽど 努力をしないと進級は難しい」 との先生の説明。 その為、後期は、まさしく必死に勉強し後期試験は成績も改善されて いたのですが、前期のマイナスをカバーするほどではなかったのでしょう。 私はその日、長男と話をして3つのことを 決めました。 医学部受験用の塾の講師バイトは即刻辞めること。体育会の空手部も退部。そして過去1年間の約4倍 の勉強時間をとること。 この3つを決めごとにして、あとは長男の部屋に学部長から送られてきた「留年通知」を額に 入れて机の正面に掲げました。 その悪夢のような3月17日からやっと1年が過ぎました。 医者になるというのは大学 に入ってからが大変で険しい山道が待ち受けています。 相当の素質がないと途中で留年を繰り返し、いい年をして退学の 憂き目に合い、その為に生きて行く為に働き口を探しながら、塾の講師で生計を立てるというケースも想定しておかねば なりません。私は長男が入学した時に学部の先生に「医学部生はノイローゼになる生徒が他の学部と比較すると多い」 と説明を受けました。 大学でノイローゼとは大げさなと聞き流していましたが、今はそのことが良く分かります。 この高額な学費の支払い負担と記憶すべき膨大な量の医学文献との間で途方に暮れてしまうのでしょう。 あとは人体解剖 です。一人の検体された人体を数ヶ月かけて全て分解することに目を背けてしまう生徒も中には居ます。机の前の勉強が 出来ても通用しない世界が待ち受けているという事です。 つまり要求される医学部生とは「ストレスに強いこと」、「忍耐 強いこと」、「血を見ても動揺しない精神的安定性があること」、それと「並はずれた記憶力を有すること」などの能力が 求められるのです。ならば幼少の頃からそのような教育をするのみ。 もし医者を目指す御家庭があるとするなら、そういう 適性を早期に見抜かねばなりません。 もし適性がある御子息ならば、前述の必要事項に関し、様々な刺激を脳に与え ながらその能力を伸ばして行くことです。 わずか1.4kgの脳の塊。 その中の砂粒くらいの大きさの脳の断片に10万個の ニューロンと200万本の軸策、100億個のシナプスがあり、それらが互いに情報をやりとりしています。 その脳を幼少の頃 から如何に刺激し続けるかで医学部の合否と卒業可否、また最終的には医師国家試験の合否が決まるということです。 私は空手を指導しながら、「子供たちがその人生をどのように生きて行くのか」について御両親たちと話し合い、様々な アドバイスを御呈示申し上げて行こうと思います。 但し、そういう意味では我が家も現在進行形です。 今日、入会 された年少さん達の御両親より約20年先行しているので、この道20年分の資源をいつか御子息たちの将来の為に役立て させて頂こうと思っています。 我が家は息子を医者にする為の険しい登山の7合目あたり。 其処まで行きつくまでの 道のりについては、どこに何が必要で、どの道を通ればいいのかという要旨を個別にお伝え出来るものと思います。 そんなものでも、いつの日にか、どこかの御家族に役立つのではないかと考えています。 子供の偉大さを信じ、そのいいところを最大限に引き延ばすことに価値があると考えながら、日々、一人一人の子供たち に接しています。 子供たちの明日を信じて。
Conclave
年少さんから稽古への参加を認めてはいるものの個人差があるのは事実です。 確かに年長さんにも個人差が あります。年中のSHOWYA、 年少のIRYUWは同じ年代の子供としては成長が早い気がしてなりません。 何がそうさせる のかはわかりませんが、一つ言えることは親と離れている時間が長いほど、しっかりしてくるということです。 私は幼稚園まで母親に着いて買い物に行き、井戸端会議にも母親の後ろ側について行ってました。何かをしゃべる 訳でもなく、黙って母の後ろに隠れてついていた気がします。 うち弁慶そのもの。 KOWTAROやRIHITOを観ていると 同じような色を感じます。 父親と一緒に居た記憶はなく、また父親に寄り添う気持ちもありませんでした。 昭和の サラリーマンは、みな子供育ては母親に任せていたのですからしようがありません。 なので、ろくに話しもしなかった 父にいきなり野球を一緒にやろうと機嫌を取られても、一緒に居たくないのだから、困ったものだと子供心に不満を感じて いました。 多くの子供は母親と過ごして来た時間が長いので母親と一緒に居ると安心だし、会話も普通に進むのです。 私の場合は明らかにそうでした。 しかし、欧米では子供が寝る時は一人で寝かしたり、親離れを早くする傾向にあります。 自立を促す育て方です。 親が助けてしまうことは良くないのでしょう。 近くに居れば「よしよし」といいながら親が何もかも してしまう。 そういう親は子供にとって楽が出来て、温室の保護の元で暮らせる有難い存在。 しかし世の中に出るとそうは 行きません。 私は中学の頃、子離れが出来ない両親に嫌気がさし、早く一人で暮したいと思っていました。 自分で苦労し ながら何もかもやってみたいと思うようになっていました。 今、世の中を見渡すと子離れが出来ない親御さんが多いのが 気になります。 子供を大事に思うが為に過保護になり過ぎ、結局、何も苦労させない、それどころか自身で判断させない ような可愛がりようなのです。 これでは子供は温室育ちで、社会の荒波には耐えられません。 失敗しそうになっても 手を貸してはならない。 あえて自分自身で歩ませねば。 そんな親としての強い意志が子育てには必要です。 12億人の信者の頂点を決めるバチカンのコンクラーベは115人のカトリック枢機卿:教皇の最高顧問達の2/3の 票があつまるまで、何度も何度も投票を繰り返し、そしてやっとのことでその頂点に立つ人を選びます。 この根競べに耐えた人がその頂点に立ちます。 世の中そういう根競べが山ほど待ち受けています。その場に勇んで 立ち向かって行くようなチャレンジ精神旺盛でしかも、忍耐の心を兼ね備えた子供を私は育てて行きたい。
信念を持って
あまりブログを更新しないと心配して下さる方がいるので、また書く事にしました。 私自身の心を書いているので 実はニュートラルな気持ちでないと書けないのです。 それが、この1週間、いろいろなことで雑音が入り、昨日は 身近なところでも雑音がふって湧いたため、心を整理する時間を持つことにしました。 それが更新を控えていた 理由です。 しかし、私は決めました。 世間に惑わされることなく、 他の誰彼の顔色を伺い過ぎず、 前を向いて、この活動を進めていくと。 そして、たとえ人が減って、歩みは亀のように遅くなろうとも、 信念を持って生きて行くと。